取り扱い商品詳細

大・小 河内守国助(江戸時代中期・摂津国)30-6-151

(刀身・外装共に特別保存鑑定)

黒蝋鞘赤銅金工一作総金具大小揃い拵え附

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商品仕様

特徴

大刀寸法 長さ70.3㌢ 元幅32㍉ 元重ね7㍉ 反り13㍉
小刀寸法 長さ45.2㌢ 元幅31㍉ 元重ね7㍉ 反り8㍉

 江戸時代中葉に現在の大阪の難波で鍛刀して居た国助の遺作で、彼は二代で「中河内」と愛称されて広く親しまれております。その呼び名は実父の初代国助から三代の中河内国助の嫡子まで三代続く国助の中間である事に因るもので御座居ます。そして特に腕達者で有り、現存する作品も多く、特に中河内国助は「拳型丁字」と云う丁子の刃文を創作し、それは大きな湾れ調となった互の目の頭頂部に、立てに細長い丁子を幾つか連れて、それは私たちの手のひらをグッと握った時に見る「拳の形」に非常に近似していることから、その名の由来があり、その丁子が当時では大変に珍しい丁子として武士や豪商などに持てはやされ、地元大阪の人々から「難波一文字」と称号されたものと考えています。そして刀剣を趣味にされて数年ほどの間には必ずと言って良いほど御覧に成るのが、この中河内国助の作品で、その独特の丁字と、江戸時代中葉の身幅に元先の開きがあって、中切先に結んだ姿と共に最も覚え易く、鑑定の第一歩を踏み出した時に感じる嬉しさを与えてくれるのが、この中河内国助の作品でありましょう。今回御案内する中河内国助は、刀身が共に同一作者であり、作風もほぼ同様である事と、刀と脇指は江戸時代中葉の姿は長さだけ有りますので、一緒に作風を述べてみることに致します。両者ともに身幅は元先に開きがあり、腰元には浅く踏ん張りが付いて、前述の寛文新刀の典型的な姿を表示し、地鐵は小板目が細かに詰んで地沸が微塵に付いて明るくなり、脇指は刀の方より細かな地景が良く働いて少し鐵色が黒味掛かって強く感じられます。刃文は小沸勝ちの匂いが深い湾れ調で、腰元の焼出し(手元の焼きが始まるところ)は、大阪焼出し(直ぐ調にやや焼きを高めながら緩やかな傾斜を描いた焼出しの意)で始まり、湾れ調に、丁字が間近く連れて処々に腰が開いた刃文が先まで続いており、間近く連れた丁字は前述の「拳型丁字」と成り、縦に細長い丁子が連れて、丁子の間にはそれぞれを仕切るかのように足が刃先に向かって入っています。道中の焼き刃には刃沸が処々にむらと成って付いて、地にこぼれて湯走り掛かるところも見られ、賑々しい刃文を更に華麗に演出しているかのような働きがあります。同時代の他流派で石堂派が丁子を主体とした名派でありますが、国助の丁子はそれぞれの丁子の頭頂部がクルリと丸みを帯びており、中には袋掛かる(丁子の頭頂部が腰元より膨らんだ状態)ものも交じって居り、石堂派の作風は丁子や互の目の頭頂部に尖り刃や片落ち(焼きの頭頂部が平と成り左右のどちらかに傾いている様子)の焼き刃が交じるなど、石堂派の丁子との大きな相違点を指摘出来ます。そして帽子に入りますと横手から直ぐと成り、先は尖りこころの小丸に返って、そのままやや深めに焼き下げており、大阪鍛冶の中で焼きを深めに返すところに中河内国助の見所が有ります。茎の形状と銘の書体についてですが、両者共に刃上がり急な栗尻となって、鑢目は大筋違いと成り、指表には任官職を入れた銘を切り下しておりますが、やや太めの浅い鏨で、やや縦長に切っている綺麗な楷書体は、彼の性格を表しているように思えます。この後の三代で国助の作品は看なくなりますが、現存する多くは二代国助までで、三代と確信し得るものは僅かであることから、三代は早世したのでは無いかと考えています。大阪新刀中で最も覚え易く、この後に元禄文化という華やいだ時代の先駆けに、こうした名工を輩出し続ける大阪は、新刀期の天才刀工を開花させた一大文明都市で御座居ます。出来に優れて居ることは元より、この大小には一作の揃いが附して居り、刀身、外装共に揃いで有るものは希有で328万円税込みで御案内申し上げます。

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