取り扱い商品詳細

 無銘「手掻」(鎌倉時代末期・大和国)30-6-138

(重要刀剣指定)

黒蝋鞘京金工金具打ち刀拵え附

▲画像クリックで拡大表示します。

▲画像クリックで拡大表示します。

▲画像クリックで拡大表示します。

商品仕様

特徴

長さ71.2㌢ 元幅3㌢ 元重ね6㍉ 反り18㍉

鎌倉時代末葉に現在の奈良県東大寺近隣で鍛刀して居た手掻派の作、として指定品にされている刀でございます。手掻派は大和五流派(千手院、尻懸、当麻、保昌、手掻)の中で最も上手の集まった一派で、室町時代より逆上るものを手掻、室町時代に入ったものを「末手概」と汎称して分類しております。手掻派の祖は包永と云われ、鎌倉時代末葉の正応頃(1288~1292)とされており、当麻派とほぼ同時期に派生したと伝えています。包永の嫡子と云われる包清は父とほぼ同格の上手で、活躍年代は嘉暦頃(1326~1328)とされて嘉暦四年紀の短刀が現存しています。銘鑑には同銘が数代続くとありますが、大和鍛冶は各派に時代による目立った作風の進展が看られるものが無く、襲名は南北朝時代後葉以降からの習慣であるとの見解になっている事からしても、代別は確たる証拠に欠けて肯定出来ないのが実情です。この様な事から本刀は包永かあるいは包清の作と看て、手掻と大別的に鑑別された事がお解りになると思います。両者で最も現存する在銘作が多いのが包永ですし、本刀は包永の作と看ても差し支えのない見所を示して居りますので、解説は包永に絞って述べていく事に致します。鎌倉から南北朝時代に渡り、大和鍛冶は銘を刻したものが少ない事で知られる中、包永の在銘作は14口を数えて大和五派中突出して多く、しかもその作風は同時代の国内鍛冶に比較しても出色な出来映えのもので、相当な腕達者で有った事は間違いございません。現存する作が目立って多いのは、他の大和鍛冶と違って寺院に隷属(大和鍛冶は僧侶が刀鍛冶となって武器の供給をして居たと云われ、その為に銘を切る必要性がなかったと云われている)して制作するだけでなく、一般の武将からも柔軟に対応していたのでは無いかと唱える研究者も居り、内外に彼の腕前は広く知れ渡っていた事が窺えます。本刀は大擦り揚げとなっていて、表裏の腰元に素剣、護摩箸の彫り物があり、身幅に元先の開きがあって、鎬の稜線が高く、そして鎬幅が廣目で有る点に大和色が窺え、中切先と成って上半の反りがやや浅めとなって居り、腰反りが付いた太刀を大擦り揚げした姿が想像出来ると思います。次いで地鐵を看ていきますと、板目が良く練られて流れ肌が目立ち、地沸が良く付いて地景も肌目に沿って強く表れており、鐵色が黒味掛かって抜群の深美有る風情となって居ります。そして刃文を看てみますと、小沸勝ちの低い湾れを基調として、小互の目が連れて処々に大きめの互の目が交じり、刃沸が総体に良く付いて、特に大きめの互の目の頭頂部には荒沸が輝き、その粒は眼で拾う事が出来るほどに確立されていて美しく明るく発色して、随所にそれが肌に作用して連れて二重風と成ったり、沸筋と成っています。この刃沸と地刃の風情が突出した抜群の冴えを見せるところに彼の持ち味があり、本刀の鑑別の根拠となる見所がございます。刃中には小模様な互の目に小足が入ってささやかに砂流し掛かり、帽子は直ぐに入って先は小丸に尋常に返っていますが、地
の中には肌に沿って湯走りが連れて淡く沸筋が働いており、ここにも大和色が強く示されています。在銘重要刀剣よりハッキリと見所が示されている本刀をしっかり習得されては如何でしょうか。238万円税込みです。

 無銘「手掻」(鎌倉時代末期・大和国)30-6-138についてお問い合わせする

ページの上部へ戻る