取り扱い商品詳細

無銘「長有俊」(鎌倉時代末葉・大和国)30-6-136

(重要刀剣指定 )

変塗り蝋鞘山鉄金工総金具打刀拵え附 田野辺探山鞘書き附

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商品仕様

特徴

長さ67.3㌢ 元幅28㍉ 元重ね6㍉ 反り13㍉

鎌倉時代後葉の大和五派(千手院、手掻、尻懸、保昌、当麻)の中で、当麻派の長有俊の指定品で御座居ます。大和国は古代国家の中心地であり、我が国に於いて最古の鍛造技術が発達し、多くの刀工が居たであろう事は間違い無いと思います。しかしながら平安時代から鎌倉時代初頭までの在銘作は殆ど無く、在銘作が見られるのは刀剣書籍でわずかに見るだけで、それも12世紀以降の鎌倉時代初期以降からであります。そして土地柄から社寺との関わりがあり、荘園などとの関わりもあって、全国に伝播派生しています。鹿児島の波平派、富山の宇多派、石川の藤島派、福井の浅古当麻派、岡山の三原派、山口の二王派、岐阜の志津一派や赤坂千手院派(美濃千手院とも云う)などが代表例として挙げられましょう。ですので大和伝(大和気質)を知ると云うことは、古刀の礎石を学ぶに近く、各地の刀工の作品からその名残が伺え、それが幕末まで続いて現存している事には大変興味深いものが有ります。長有俊は当麻派の鍛冶で有る事は前述致しましたが、当麻派は奈良県の二上山麓の北葛城郡当麻で派生した鍛冶群で、地籍から採って当麻派と呼ばれ、この地に隣接する興福寺・一乗院(興福寺の塔頭の中でも門跡が入る院家の一つで、大乗院とともに門主は興福寺別当をつとめた。{延暦寺における青蓮院に該当する})の末寺である当麻寺に専属していたものと思われ、祖は鎌倉時代末期の正応頃(1288~1292)の年代と伝える国行と云われております。しかしながら古伝書などを見ると、当麻派の刀工は銘を切ることは希である。とあり、現存する当麻派の在銘作は殆ど無いことが知られて居ります。有俊には「永仁六年有俊」(1298)と書き下し銘のものが有り、その次代と思われるものに「長有俊」の三字銘があり、銘鑑ではこれを建武頃(1334~1337)として、作風と銘の書体から別人とみなしております。「長」と冠するのは「長兵衛」の略と云われており、作風の見所として直ぐ刃の焼き刃に沿って二重刃が目立って掛かる点を挙げています。その古伝に照らして本刀の作風を述べて参りますと、体配は大擦り上げで、腰反りは抜けて総体に反りが付き、表裏には棒樋が掻き流しと成って居り、身幅は元先に開きがあって中切先が延びこころとなり、元は二尺六寸前後のもので四寸ほど擦り揚げられて居ることが感知され、地鐵を看てみますと、小板目が良く練られて地沸が厚く付き、細かに地景が働いており、淡く小沸映りが立って、典雅な趣が御座居ます。そして刃文に注目致しますと、小沸勝ちの直ぐ刃調に小湾れ、小互の目が連れて刃沸を厚く敷いてむら立ち、地にこぼれてそれが連れて二重刃や湯走りを形成し、一見「相州行光」(五郎入道正宗の兄)に近似した沸を表出した作風を強く印象づけものと成っています。刃中にも小沸が微塵に付いて沸筋や砂流しが掛かり、帽子は道中の刃文のまま入って、先は強く掃き掛けて沸筋掛かって、尋常に返っています。この帽子と焼き刃に見られる二重刃、が当麻派の中でも前述した二重刃が色濃く示されて、長有俊の個銘で指定となっている根拠だと考えています。相州行光に類似するも大きな相違点は地鐵の地景にあり、地景がもっと目立って働いているものが行光で、帽子の掃き掛けなども相州ものにはあまり看られ無いのが指摘されます。匂い口の明るさと沸の輝きは、同時代の当麻派の最も大きな見
所で精華的な見所であります。付属の外装は江戸時代後葉に新たに仕立てられたもので有りますが、状態も良く、鑑賞の傍らに置いて共に楽しめると思います。以前は大変高価でした本作も現在では、240万円税込みで御座居ます。

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